日本は制度変化の道半ばにある


今年7月に亡くなられた経済学者の青木昌彦先生は、昨年出版された『青木昌彦の経済学入門』の中で、「日本の過去二十年ばかりの在り方は、世に広くいわれる「失われた二十年」というよりは、制度体系の「移りゆく一世代=三十年」の半ばにある」という考えを示されていました。これに従えば、自民党の一党支配が終焉した1993年から東京オリンピック以降の2023年頃までが「移りゆく30年」にあたることになります。

 

制度はマインドセットに関わり、経済のパフォーマンスに影響を与える

 

「制度」とは、青木先生の定義では、「人々が「世の中はこういう具合に動いている」と共通に認識しているような、社会のゲームのあり方」であるとされます。日本の高度成長期を例にとれば、「業界団体」と「関係官庁」の結託、「終身雇用」、「メイン・バンク制度」、「象牙の塔を形作っていた」大学などが、その頃に形成された「制度」すなわち「社会的ゲームのプレーの特徴的なパターン」とみなせます。

 

青木先生の他にも、1993年にノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノースやコロンビア大学名誉教授のリチャード・ネルソンといった経済学者が同様に主張するように、「制度」は人々の「文化」や「認知」や「マインドセット」に関わり、経済のパフォーマンスに影響を与える要因であると考えられています。

 

また「制度」を形作る要因としては、(1)法律のような公式なルール、(2)社会規範のような非公式な制約、(3)警察や裁判所のようなルールを実効化(enforce)する仕組み、が挙げられます。これらと社会のゲームのあり方としての「制度」それ自体とのあいだには、明確な境界線を引くのは難しいとも言われています。

 

日本の制度体系に起きている変化とその原因

 

終身雇用制などの日本の制度の多くは、1950年代半ばから1970年代初めまでの高度成長期に形作られたと考えられています。しかしバブル崩壊後の頃から、「一つの会社なり省庁なりに忠誠を誓って勤続していくことが必ずしも当たり前とはいえない状態」になり、また以前は「絶対に潰れないと思われていた」金融機関が倒産する事態も起きました。

 

つまり、「それまで自明視されていたルールが、崩れ始め」ていて、「日本は制度変化のプロセスに入った」と考えられます。

 

日本で制度変化が起きている原因としては、「情報革命」と呼ばれる情報通信技術の進歩や経済環境の「グローバル化」などが挙げられていますが、ここでは特に「人口動態の変化」に注目したいと思います。

 

日本の生産年齢人口(15〜64歳)割合は、戦後からバブル崩壊のあった1990年代初め頃までは上昇かほぼ安定の傾向にありましたが、その後は現在に至るまで低下を続けており、日本は「いまや近代史には未知の人口成熟化社会に向かって先行している」と言われています。

 

下の図は、国立社会保障・人口問題研究所によって作成された1960年と2015年の人口ピラミッドです。人口構成の違いをこのように比較すると、高度成長期に形成された制度の一部はもはや持続可能でないという考えには妥当性があるように思われます。特に社会保障制度に関しては、「その再設計が先送りされるならば、負担はますます若年世代に重くのしかかり、その働くインセンティブをそぐであろう」といった懸念の声が多く聞かれます。

 1960
2015
出所:国立社会保障・人口問題研究所ホームページ (http://www.ipss.go.jp/

 

制度変化のプロセス:漸進的変化とメディアの役割

 

上述のノースの研究によれば、制度変化は基本的に漸進的なものであると考えられています。その理由は社会的ゲームのプレーの特徴的なパターンとしての制度が人間の文化や認知やマインドセットに関わることに求められると思われますが、軍事的征服や革命などの結果として公式なルールが急進的に改革されるように見える場合でも、文化などの非公式な制約は徐々にしか変化しないとされています。

 

青木先生は、制度変化における「メディア」や「学界」などの役割、またそこで闘わされる「公論」の役割を強調されていました。このプロセスに関する筆者の理解は特に不十分ですが、「顕著な公的言説」が人々の「予想」や「行動選択」に影響を与え、その結果生じる「社会的状態」が経験されることでまた「公論」が闘わされる繰り返しの中で、背景にあった「歴史的に形成された文化的予想」も「それ自体が進化していく」ようなプロセスが考えられていたのかもしれません(またそこでは「実験的な選択」や「模倣」も重要な要因になると思われます)。

 

日本の制度変化の方向性

 

ここで、青木先生が「オリンピックの準備と補いあって定まっていくだろう」と予想されていた「改革の行き先」を見ることで、日本の制度変化の方向性を今後私たちが各自で考えるきっかけにできればと思います。「活動人口の減少」や「いっそうの都市化・サービス業化」などへの対応が必要であるという見立てから、青木先生は「少なくとも三つのことが重要だ」と指摘されていました。

 

まず、「女性の労働参加率・キャリア・起業と出産率の上昇を両立させうるような仕組みの充実」であり、「雇用慣行と制度の革新」や「乳幼児から小学生にいたる系統的な養育サービスの規制緩和」がそれに含まれます。

 

次に、「就労移民の規制緩和とその予備軍たる留学生の拡大」です。この提言には、「日本語とともに、外国語をしゃべり、日本人とカルチャーを部分的に共有する人たちが都会・農漁村や学校に増えることは、生活を活性化する」という積極的な意味があります。

 

最後は、「ますます集積が進む都会と、人口は減少するが活力のある地方の相補的なすみ分け」です。地方が「都市と共生しうる」ようになるための手段としては、農業における「付加価値の高い生産物の開発」や「地方の自然・文化資産を活用した観光産業の開発」などが挙げられており、そのカギは「熟練者のノウハウと若い人たちのエネルギーや都市化時代に適合したマーケッティングとの創意結合」や「多様な創意工夫の競争」などにあるとされていました。

 

終身雇用の相対化と子供たちの技能形成

 

以上の三つのうち、「日本の制度体系の根幹にあった」と考えられる「終身雇用制」の変化の方向性について、もう少し考えてみたいと思います。「一つの組織で一生勤めあげる」という選択は、大多数の人にとっての「当たり前」とは必ずしもいえない状態になっており、「部分的な選択の対象として残る」ことが一つの方向性として考えられます(「終身雇用制度の相対化」)。この場合には、子供たちの技能形成はその変化にどう適応する必要があるでしょうか。



教育・技能訓練については、青木先生は別の著書『比較制度分析序説』のなかで、「組織の参加に先立つ教育」における日米の様式化された違いを「可塑的・文脈的技能」と「機能的技能」として区別されていました。つまり、日本では「特定の企業組織参加後にその文脈で有用な技能(文脈的技能)に磨きをかけるという展望を持って、まず一般的な問題処理能力や組織コミュニケーションの能力(可塑的技能)に投資しておく」ことが一般的な選択であったのに対し、アメリカでは「どのような組織においても通用するような特殊機能の技能(機能的技能)に投資する」ことが一般的な選択であったと考えられるということです。

 

また組織の違いに関しても、従来の日本企業は「マネジメントと各職場のあいだのタテの関係」と「職場間のヨコの情報(認知)連結関係」の両方で、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションなどを通じた暗黙知にもとづく「情報共有」を強める特性を持つとされていました。これは「機能分担」を曖昧にすることで「伸縮的な職務配分」を可能にし、「自動車産業」などの「製造技術の高度化(ハイ・エンジニアリング)」で「比較優位の源泉の一つ」となってきた一方、「特殊な機能的技能に投資し、その有効利用を主張する主体」が「「出る杭は打たれる」式の扱いを受ける」おそれがあり、「ソフトウエア産業」や「IT産業などの新産業の構想」で「アメリカに一歩も、二歩も譲るところとなっている」要因の一つであるとも考えられています。

 

しかし人口動態や雇用構成の変化とともに終身雇用が当たり前でなくなってくるとすれば、それと補完的だったこれまでの可塑的・文脈的技能の教育にも変化が求められると考えられます。また日本型組織についても、「従来の企業内またはそのグループ内に閉じ込められていた情報共有型組織を、部品調達や開発協力の外部のネットワークに開いていくこと」や、「企業の境界を越えた通信・調達・開発のネットワーク化を学習し、応用すること」が必要とされるように思われます。

 

筆者の限られた理解では、以上の変化によって要求される知識や技能を具体的に示すことができません。しかし制度変化の研究は、そのような知識や技能が社会に十分に蓄積されて初めて日本の制度変化が大きく進むかもしれないことを示唆しており、この点では「教育制度や他の学習機会の拡延」が重要になると思われます。

 

新しいビジネスと教育・研究の発展のための産学連携

 

教育制度に関連して、青木先生は新しいビジネスの創造における「産学連携」の可能性も指摘されていました。大学は教育と「限りなく基礎に近い研究」を行い、企業は「研究の成果を製品開発と商品化に具体化する」。その「あいだをつなぐメカニズム」としての「仲介組織がさらに大学周辺に簇生」することが必要であり、そこには「産業と大学の双方からの人材の流入が必要である」というのです。

 

この点について筆者は、新しい教育・研究の発展にも同様のことがいえるのではないかと考えています。教育者・研究者は自らの依拠する前提や方法を擁護する傾向があり、それがある程度長期間にわたるのは当然であると思われますが、研究の成果に対する産業界の「商業化」の活動からフィードバックを受けてモデルや方法を更新していくことがあってもよいのではないでしょうか。いずれにしても、大学は研究の成果を産業界や仲介組織にオープンにしていく必要があると考えられます。

 

政府債務の累増が懸念される今日ではありますが、終身雇用を中心とした日本の制度体系と技能形成の進化の方向性に関する私たちの理解が継続的に深まり、産学政官の連携を通じて老齢・現役・若年世代の間で利益の調整が行われ、いまの子供たちが大人になったときの日本が活性化されていることを願っています。